ようおまいりでした。

旅の記録や日々感じたことを自由気ままに綴っていきます

【京都備忘録】八坂神社と祇園祭

656年に創祀され疫病退散にご利益のある八坂神社は素戔嗚尊をまつる全国約2300社の総本社。

f:id:Chankana:20200906222007j:plain

八坂神社という名称で呼ばれるようになったのは明治からと意外と日が浅く、かつては「感神院祇園社」と呼ばれていたのが、明治の廃仏毀釈の際に「八坂神社」に変更になったそうです。なので地元の人からはもともとの名から「祇園さん」との愛称で親しまれています。

疫病退散を願い7月のひと月かけて行われる祇園祭。今年はコロナの影響で最小限に抑えて執り行われました。祇園祭は869年に疫病が大流行し、人々は神仏に祈ることで疫病を収めようとしました。そして当時の国の数にちなみ66本の矛を立て、祇園社の神輿を担いで集い疫病退散を祈った「祇園御霊会」を行ったのが祇園祭の起源とされています。


八坂神社の御祭神である素戔嗚尊は、インド仏跡である祇園精の守護神「牛頭天王」と同一視されており、祇園祭の名物の一つ「厄除け粽(ちまき)」の始まりのエピソードにも登場します。

牛頭天皇が妻問い(求婚)の旅の途中、蘇民将来と巨旦将来の兄弟に一夜の宿を求めました。弟の巨旦将来は裕福なのに断ったが、兄の蘇民将来は貧しい中宿を貸し、最大限のもてなしをしました。牛頭天皇が出立する際、「我はスサノオの神である。もてなしのお礼にあなたの子孫は末代まで私が守ってあげましょう。近いうちに疫病が流行るが、その時は”蘇民将来之子孫也”と書いた茅の輪を腰につけなさい」と告げ去りました。ほどなくして疫病が蔓延し、蘇民将来の一族は牛頭天皇の加護のおかげで無事でしたが、弟の巨旦将来の一族は全員疫病によって死んでしまいました。こうして祇園祭で授与される粽には“蘇民将来之子孫也”という護符が貼られており、「私は蘇民将来の子孫です。病気や災いから守ってください。」と願いを込めて軒先につるされるようになったのだそう。
初めて祇園祭の粽を目にしたとき、てっきり食べられるものだと思っていたので、正月に飾るしめ縄のように軒先に飾るものであると知った時はびっくりしました。こういった厄除け粽にまつわるエピソードを知り、その伝承が今でも大切に継承されていることへの感謝の念というか感慨深いものを感じます。

f:id:Chankana:20200906224709j:plain

 

ちなみに八坂神社の西楼門を入ってすぐのところにある疫神社は、蘇民将来社とも呼ばれており、先ほどのエピソードに登場する蘇民将来を祀る神社です。祇園祭の最終日である7月31日の夏越祭の時には蘇民将来が牛頭天王を粟餅でもてなしたことから粟餅が供えられるそうです。また大きな茅の輪が設えられ、祭りが無事おわったことを感謝する神事の後、参拝者は茅の輪をくぐり、厄除けを願います。今年はコロナウイルスの蔓延に伴い、例外的に3月から疫病退散の願いを込め設置されているそうです。

コロナが終息し、またコンチキチンと鳴り響く祇園祭の活気ある様子を見れる日が早く訪れることを祈るばかりです。